浄土真宗本願寺派
真金山 真覚寺
(しんかくじ)
永正5年(1508)、真覚寺(眞覺寺)は、播州赤穂市の北野中に、釋善入法師によって創設された。
釋善入法師は、浄土真宗本願寺派第八代ご門主の蓮如上人(1415~1499)のご教化を受けて、阿弥陀如来の本願に帰依したと伝えられている。
【年表】
年 号 | 西 暦 | 事 項 |
永正5年 | 1508年 | 真覚寺(眞覺寺)は、蓮如上人のご教化を受けた釋善入法師によって創設。 |
明治25年 | 1895年 | 千種川が大氾濫し、赤穂市の全域が水害にあい、石垣の上に建つ本堂でも床下浸水し、全門徒の約半分はその生活が無になった。 門徒のうち、13家族が、第13代智超法師と共に、神戸の街に移住した。赤穂の真覚寺は、智超法師の弟、智成法師が継職し、現在も法灯が継承されている。 |
大正7年 | 1918年 | 第14代智箭法師は、大正7年より34年間住職をつとめ、門徒への伝道に献身し、その数は500戸を超えた。また、智箭法師は、書道や煎茶道に通じ、多くの門弟を育てた。 |
昭和27年 | 1952年 | 第15代俊成法師は、昭和27年より27年間住職をつとめた。小さいながらも「山手幼稚園」を開設し、あわせて、学習塾「滴翠学園」を開き、子ども達の進学の道を開いた。「滴翠(てきすい)」は、世界遺産・西本願寺の飛雲閣が建つ滴翠園を敬愛してつけられた名である。 |
昭和54年 | 1979年 | 第16代俊樹法師は、昭和54年より43年間住職に奉職した。学校法人成徳学園教諭(現在の神戸龍谷中学校。数学・宗教の高校教師)をつとめ、その後、相愛学園校長も4年間つとめた。 また、お寺の書道塾生は約200名もいた。阪神淡路大震災の折には、寺院の復興に力をいれて、人々の心のケアを考えて、『どちらを向いても仏のふところ』を出版した。その本に、父は、こう記している。 「鏡の前では わが姿をうつし 教えの前では わが心をうつす」 「亡き人は あわす掌の中にかえってくる 南無阿弥陀仏にさよならはない」 |
平成29年 | 2017年 | 第17代住職に、直樹が就任した。自信がなく、日々、勉強中。 |
令和2年 | 2020年 | 第16代住職の謙真院釋俊樹が往生した。父は、置塩医院、神戸赤十字病院の医師、看護師の献身的な治療とケアによって、幾度も快復した。父は、「和顔愛語」という『無量寿経』の言葉を病室で書いた。 「柔和な笑顔で接し、優しい言葉をかけて相手をいつくしむ仏さまのように」という心である。病院の看護師は父の字をほめてくれた。正月には、病室で『正信念仏偈』を自ら鐘をたたいてお勤めした。懸命な治療と看護を受けつつも、誤嚥性肺炎がもとで、1月末、私や妹二人の手の中で亡くなった。葬儀に際しては、本願寺神戸別院において、神戸中組のご寺院様をはじめ、仏教各宗派の僧侶やシスター、ご門徒、神戸ロータリークラブ、置塩医院、橘保育園、あそかビハーラ病院、成徳学園、龍谷大学関係者等に丁重なるご弔慰を賜り、心から御礼申し上げたい。 公詢社の原田様、北川様たちに真心のこもったお力添えをいただき、父を亡くした悲しみに向き合うことができ、思い残すことない葬儀となったことが忘れられない。 |
令和2年 | 2020年 | 3月、新型コロナウイルス感染(COV-19)が拡大し、亡くなった方々や感染者が増えつづける。COV-19 感染対策のために、オリンピックが開催中止になり、学校にも通えなくなった。世界中が悲しみや不安におおわれる。医療福祉機関や行政では、感染するかもしれない距離で、医師、看護師、介護士たちが患者や高齢者のいのちを守るために献身していることに感謝。保育園の先生方も子ども達を守り、食料品店や配達の方々など、生活を支えつづける方々にも感謝。当たり前の生活の尊さに気づかされる。外出を自粛し、人々と会えず、寺院での法要もできない。 オンライン講義の準備に苦慮する。どんなに離れていても、それぞれの居場所で手を合わせ、労いあい、世の安穏を願いたいと思い、HPを開設。新しい生活を過ごすために、「オンライン勤行と感話 それぞれの場所で共に掌を合わせたい」の動画を見ていただくこととした。HP開設には、有限会社ビデオクリエート(滋賀県大津市)に特段のご支援をいただいた。 |